三日月も満月も同じ『月』良い時も悪い時も同じ『人』
月欠ける
己が足りぬと
憂うことなし
はい、なんか古文みたいな感じになりましたね(笑)
こういう言い回し一つで昔の歌人が詠んだ句のように見えてしまうのだから、日本語って不思議。
昔の人はこういうカッコイイ感じで日々話していたから、武士道とか忠義とかっていう意識が生まれたのだろうかと、ふと思う「みや」です。
まぁ、訳すと。
「月だって欠けるんだから、自分の力が足りないって心配したり不安に思うことはないよ」
ってことです。
あくまで「みや」の言葉で書いているだけなので、悪しからず。
月って満月から徐々に欠けていって、再び満月……まんまるになりますよね。
月にだって調子の波があるんです。
実際は自転やら公転やらが関わってそう見えるだけで、調子も何もあったものではないんですけど、月はいつ見たって同じ形をしていない。
じゃあ、「実際欠けてる訳じゃないから月と自分を同じには見られないよ!」
と思われる方もいらっしゃるでしょう。
満月の満ち欠けは見え方だけであって、本当に欠けたりしてる訳じゃないと。
そうですね、見え方の問題なんですよね。
ということは自分が欠けている、足りてないというのも見方次第で違ってくるということですよね。
人間は完璧ではありませんので、別に欠けて足りないなんてことはないんです。
頭が良くなくたって、格好が良くなくたって、自分の持ち味を活かして面白おかしく暮らしている人だっている。
向き合い方ひとつで次第で人は「満月」にも「三日月」にも見える。
言ってしまえば、満月の時も三日月の時も同じ月であることは変わらなくて、それは人間にも同じことが言えますよね。
調子が悪かったり、機嫌が悪かったり、失敗したり怒られたり、傷付いて凹んでいる時だって自分は自分です。
最近の記事は自分は自分ということを色んな視点で書いている気がします。
この「画像からメッセージを読み取って書く」時って、基本その時の自分から出るものをそのまま書いている訳なんですが、今は自分という存在を確かめている段階だったりするのかもしれません。
また、自分は自分でいいんだよ、っとセルフに問い掛けているのかもしれません。
皆さんは「自分は自分でいい」と揺るがない所で言えますか?
僕はもう少しな気がします。
わかってはいるけど、そこに対しての自信がまだ培われてないって段階。
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正確には「三日月」の時の自分を受け入れきれていないと言ったところでしょうか。感覚的にそれを理解や観測出来ているものの、実感や体感レベルでは捉えきれていない。
けど、ついつい「満月」である自分を求めてしまいますよね。
そりゃあ僕だってそう思います。
調子が悪いよりは良い方がいい。
でも実際はどっちも同じなら「満月」だろうが「三日月」だろうが気にする必要なんて最初から無いのかな、って。
ちなみに、表現として「三日月」が欠けてると書いているだけで、「三日月」自体の否定とかしているつもりでは無いので、三日月好きの人はどうかご勘弁を。
人間、いい時だけが本当の自分だとしたら、疲れちゃいますよね。
いつも明るい元気な 人がたまたまその日は元気無くたって、その人であることは変わりないのだから。
「みや」
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