カタチばかりに捕えられてるんじゃないの?
カタチばかりに
捕らわれてるんじゃない?
はい、画像では読み難くて仕方ないですね。申し訳ありません(^^;;
この画像はよく見れば鳥とその影だとわかるんですが、パッと見たら鳥で埋め尽くされているように見えます。
このように、カタチばかりに目がいきがちなことって結構あると思うんですよね。
例えば生き方。
「俺は(私は)こうやって生きていくんだ!」
と心を定めて進んでいる方。
とても素敵です。
自分のあり方や、想いや目標をきちんと理解して行くことは大事なことですよね。
僕も見習わなければなりません。
しかし、そうやって定めている人は言い方を変えれば、視野が狭くなっているとも言えます。
自分の進むべき道を一心に走って何が悪いんだ?
と思う方も居るでしょう。
その突き進む力は確かに凄いことで、素晴らしいことです。
とてもひたむきで、懸命なのですから尊くない訳がありません。
しかし、そうやって進んで来た道を今一度振り返ってみてください。
ちゃんと周りの人はついて来ていますか?
貴方一人の力だけでそこまで来たのですか?
大事なことは見失っていませんか?
成功(カタチ)ばかりに捕らわれていませんか?
その成功の先にあるものはなんですか?
何のためにそのカタチ、こだわりを持つと決めたんですか?
今一度振り返ってみてください。
その道を歩くと決めた時のことを……
初心忘れるべからずという素敵な言葉を昔の人は残していて、きっとどれだけ凄い人になろうが、ここを忘れていると痛い目に合う。
僕も常々自分というものを誤差なく伝える。
というのを忘れずに記事を書いているつもりです。
けれど、例えブレてもそれにちゃんと気付ければ良しとも思っています。
言い方を変えれば柔軟に行きたいとも思っています。
どうも昔からの影響なのか、日本では初志一貫が美学とされていて、それを途中で変えるとは何事だ!言ったからには最後までやり通せ!という風潮がまだまだあります。
場合によっては、そういうことが必要な時も確かにあるかと思います。
しかし、今の時代は多様性だとか、柔軟性だとかが必要と言われています。そして、僕たち人間は常に変わっていく生き物です。
一年前の自分と今の自分はベースが変わらないだけで、別人と言ってもいいと思います。
そんな中で、日々見聞きすることや触れているものによっては考え方や物事の捉え方が変わることもあるかと思います。
それまではコレだ!って思っていても、色んなことが重なってダメになったり、思いもよらない才能に気付いたり、求めるものが変わったり……
そんな中で、貫き通さないといけないものって果たしてあるのだろうか?
自分の中に揺るがない絶対がある場合は、それを忘れずに突き進めばいいと思います。
宇宙兄弟の日々人は子供の頃から宇宙へ、月へ行くという確固たる〝絶対〟を胸に、本当に月まで行きました。
けど、兄であるムッタは奥底にあったものの、弟の日々人のように真っ直ぐは突き進めなかったものの、紆余曲折して宇宙飛行士を目指します。
突き通して辿り着けることも、寄り道してしまっても辿り着けるということを宇宙兄弟は教えてくれてますよね。
ちゃんと自分の中の本当だったり、忘れられない絶対があれば、きっと収まるべきところには収まるんだと思います。
どちらにせよ辿りつければ良いのですから、どっちがいいとかなくて、自分はどっちに向いているか、なんだと思います。
なので、最初に抱いていた初心という名の芯さえ大事にしていれば、きっと大丈夫です。
蛇行運転だっていいじゃない、ブレたって、その余計な分自分の幅が広がるんだもの。
「みや」