雨の日はいつもと違う世界
雨の日は
自分を見つめ直そう
雨と言えばマイナス、ネガティブなイメージが結構あるけれど、休みの日などで考えるとむしろいい日とも言える。
今日はそんな雨の日、天気について考えて見た。
風がビュービュー窓ガタガタ!とか
カミナリがゴロロー!とかは不安になるけれど、ただの雨は個人的に好き。
というか、雨の日ってなんか落ち着く。
いつもより少しだけ冷静だったり、物事を俯瞰して見れることがある。
外の世界が少し静かになるというか、澄んでいるというか。
晴れの時とは空気から音から匂いまで、何から何まで確実に違う。
単純に気温が低いというのもあるかもしれない。
晴れの日と雨の日が違うなんて当たり前のことかもしれないけれど、当たり前のことだからこそ改めて考えることを忘れてしまっていた。
そこにはただ雨が降っている、降っていないというだけじゃない。きっとそんな物質的なことだけじゃなくて、単なる気象的なことじゃなくて、もっと肌感覚と言えば良いのか、感じ取るものが誰しもあって、けど、多くの人はそれをいちいち感じようとはしていない。
そんなことを今書いている僕も別段、考えたことはなかった。
けど、今こうして考えたり感じてみると雨の日というはいつもとは少し違う自分であることに気づいた。
ここまで書いていて、今更の様にふと思い出す。
そう言えば今度「天気の子」という映画がやる。
言わずと知れた「新海誠監督」の最新作。
きっと待ち望んでいる人も多いのだろう。
おそらくだけど、というか今この記事を書いているからなのかもしれないけれど、この映画をきっかけに『雨』というものの概念や見方というものがガラリと変わるかもしれない。
正確には「天気」の、かもしれない。
そんな予感がする。
当たり前の様に生活に、人生に登場してくる『雨』という存在。
昔だったら農作物に恵みを与えてくれる感謝の『雨』。
現代では気象の一つ。
きっと今でも一部の人は昔と変わらぬ感覚で『雨』を感じている人も居るのだろう。
改めて『雨』を感じたり、考えることを忘れてしまった今だから描かれる作品なのかもしれない。
もしくは「天気」を通して人の心理や行動、思考、あらゆる面での表現がなされているのかもしれない。
とか、いつ間にか映画について書いてしまっているけれど、これもきっと今日が雨のせい(笑)
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雨の日のエピソードで、雨が降ってなかったら感じることのなかったであろう話がある。
原付である仕事に向かった時のことなのだけど、それが片道三時間近く掛かる道のり(埼玉〜江ノ島間)で、その帰りに雨が降った。たまたま用意していた雨具がまさかの使い古しのダメなやつで、全くもって無意味に等しい中それなりの雨の中ひたすら走ったのだけど、この時の僕の頭の中にあったのはたった一つのことだけだった。
風呂に入りたい!
寒かった、とにかく寒かったのだ。
六月とは言え、夜で雨で濡れて、風を受け続けると流石に寒くて仕方なくて、お風呂以外のことは考えられなかった。
そんな果てに家に辿り着いてお風呂に入れた時の、全身の血液が動き出す様なあの感覚は雨を受け続けいなかったら味わうことの出来ないことだった。
生きている心地を感じた。
降られている間はただただ嫌だった雨も、その瞬間からは雨で良かったと思えた。
けどまぁ、また同じことをあえて選択はしたくないけれど(笑)
雨の日はいつもと違う世界で違う自分。
そんな言われたら当たり前の様なことも大事にして生きたい。
「みや」