自分を書く文章 ぶんぶん通信「みや」ログ 

執筆者「みや」の想いや考えを共有して、共感出来る人に繋がりたい。その中で、視点や考え方が読んでくださった方に役立てばと思います。

怖さを感じることは自分にとっての本当がある。

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はてなブログ単体は交流しにくいと感じている「みや」です。

 

 

今回の記事は先日友人が最近始めたブログの中で、今の僕にドンピシャな記事を書いていたので、思わずそれについて書きたくなりました。

 

そのブログがこちら。

ameblo.jp

 

彼も凄く面白いというか、自分を生きるのに真っ直ぐでかなり自分というものを曝け出しているので是非知って貰いたい人。

尊敬している友人の一人です。

 

 

この彼がこの記事で書いている一文がこちら

 

 

※この記事に書くことは、

 

"直感を大切にする"

 

"タイミングを待つ"

 

"心の声を大切に"

 

"ワクワクに従う"

 

を逃げる言い訳に使ってた俺自身の話。


それらを都合のいいように使ってた自分が悪かったって話。

 

"直感を大切にする"という生き方を否定するものではない。

 

何なら今も俺、直感とかタイミングを待つとかも大切にしてるよ。

 

これからもそういう生き方の遊びをやっていきたいと思っているよ。

 

 

いやまさに!

 

 

まさにこれを常にやり続けていたのが僕!

そもそも、彼とはこうした価値観や考え方で繋がっている部分があったのだけど、この考え方って凄く素敵なことで、生きる上ではとても大切なことだと思っている。

 

不安や焦りから起こる行動はしない、とかふとした瞬間に忘れてしまいがちだったりするけど、そこから生まれることって消極的だったり、苦しみだったりして、ワクワクとか自分を生きるとは真逆な方向のエネルギーでの一歩というのがこの世の中には確かにあって。

 

そうした選択をしないということを彼は僕以上にストイックに実践していた。

※ここから先はいくつか彼の言葉を引用しながら、自分の言葉を書き足したりしたりしてます。

 

 

しかし、それゆえにそれに縛られたりすることもあったりする。

 

 

やりたいと思えること、

ワクワクするものへの衝動、

タイミング、直感を待つ。

 

 

それらから生まれるものや、出会えるもの、見えてくる世界というのは確かにあって。

 

 

けどそうしていく中で、いざ

 

 

タイミングがきた!

 

今だ!

 

今この瞬間!その時がきた!

 

やりたい!って思った!

 

という、ここぞという時に

 

 

勇気が出せない。
肝心の一歩が踏み出せない。



知らない間に臆病になってたりするということがある。
そうするとそうしたアンテナや感性が鈍ったりして

 

ワクワクすっぞ!!!

 

とか

 

楽しみだ!!!

 

ってならない。

 

 

それより先に恐怖や不安なんかが出てきたりする。

その結果、「自分の中でタイミングじゃないんだな」ってことにして、行動しない。

 

 

ワクワクしないから、


楽しい!ってならないから、


何なら恐怖心が大きくて嫌な気分になるから、


って勇気を出さない。


 

この様に言い訳にしてしまってた。

 

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直感で動く、とかワクワクに従ってという考え方が出てきたのはもう何年も前で、それに従って現実を変えて行っている人というのはそう言った怖さを感じても、そこに飛び込んでいる。

 

 

彼のブログではワクワクしないことこそやりたいことって書いているけど、今この記事を書いている僕はこう思った。

 

 

怖さを感じることこそやりたいことだって。

(よく読んだら彼も最後の方に書いていた)

 

思ったんです。

本当にやりたいことって勇気がいることだったり、怖いものなんだって。

自分の中にある本当がなければ、その怖さって出てこないと思う。

 

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だって、仮に「明日からジャニーズのバックで踊ってくれ」とか言われても、いやいや無理ですって言う言葉が出てきても恐怖は出てこない。

 

 

それは僕の中に「ジャニーズとしてステージで踊る」というのが無いからであって、仮にそれを目指している人、その途中の人だったら怖いと思う、凄く怖いと思う。

中にはチャンスだって喜べる人もいるかもしれないけれど、それはごく少数であると思う。

 

 

あるいは僕にとっては現実味がないから怖さを感じないのかもしれない。

けど、少しでも現実味があること、興味だったり好きだったりするものだったら、そこに対しての自分の実力とか現在地をわかっているが故に怖さが出てくる。

 

 

やりたいことだからこそ、怖さが出る。

 

 

もう1つ例えが思い付いたので、例えてみます。

有名なパティシエの先生みたいな人に、自分が作ったお菓子を食べて貰うってなったときに、僕だったら「いやいや、僕のなんか食べても仕方ないでしょ」って客観的に思うことはあるかもしれないけれど、

 

これがパティシエを目指している人だったら「不味いとか才能無いとか言われたらどうしよう」とかって不安や恐怖が出てくると思う。

 

僕は仮に「美味しくないね」と言われたら多少ショックは受けるだろうけれど、「でしょうね」とも思って終わると思う。

 

 

なので、怖さというのはそれだけ自分の中にある本当の部分と直結してることなんだと今日書いていて思いました。

 

 

そうなると先日の編集の仕事はかなり怖さを感じていたので、僕の中の本当の1つだったのかもしれません。

 

受からなかったんですけどね。

 

 

この怖さって感情は凄く奥が深い気がする。

怖いことこそに自分の真髄が隠されている。

もちろん、一つの例だけれど。

 

 

「みや」

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