最初の一歩は同じ
自分の持ち味って何かな?って考えた時、割と即興で言葉とか書けるところがあったな、と前にやっていたことを思い出した。そんなところから繰り広げてみようと思った「画像言葉遣い」の「みや」です。
もう三年程前になるんですけど、適当に見繕った画像に言葉を乗せて、そこから感じ取った注釈みたいなのを書いていた時期がありました。
言わば「その画像のキャッチコピー」と思っていただければ、わかりやすいと思います。
その画像が持つ空気やメッセージを必要な人に届いたら、それって結構素敵なことなのかもしれない。そんな想いから生まれたものです。
言葉には力があります。
画像や映像などの〝視覚的な〟部分から感じ取れるものにも力があります。
それぞれにそれぞれの良さがあります。
しかし、単体での力には限度がありますよね。
小説などでは想像出来ない部分や、絵だけでは表し切れない情景や説明……なら、二つが合わされば、相乗効果は間違いなし。
漫画や広告のポスターなんかがその代表ですよね。
不思議とそこから拾い上げられる言葉があるというか、その画像が持ってる何かを感じることがあるんですよね。勿論、無意識の場合もあれば意識的な時もあります。
また、こういう言葉を乗せたいと思って画像を探す時もありました。
記念すべき最初の一枚はコチラ。
人によって歩き方や進み方は違うけど、スタートラインだけは同じだという、最初に相応しい言葉画像です。
今回は説明も踏まえてなので、後ろの方に画像を乗せましたけど、今後が記事の最初に乗せたいと思います。
何を始めるにしても、最初の一歩っていうのは必ずありますよね。
今の僕にしてみればこのブログが初めての一歩でもあるし、仕事にしろ遊びにしろ、生活にしても一歩目はあります。
人によってはその一歩目も軽やかにスムーズに踏み出せる人も居るでしょう。
そうじゃない人だって、居るでしょう。
経験の視点で言えば、スムーズに踏み出せた経験と、上手く行かない踏み出しの経験の2つになるかと思います。
誰だってスムーズが良いですけど、上手く行かない経験をすることによって、その後に上手く行かない経験をした人へ掛けられる言葉が違ってきます。
世の中にはそういった失敗の経験や、下の人の気持ちがわからないまま進めてしまう人が少なからず居る。悪い意味ではなく、その人はその人なりの努力や才能や感性を上手に使ってたりするから、それもそれで素敵なことです。
しかし、失敗しない人に失敗する気持ちや境遇は得てしてわからないのです。
想像は出来ても、理解までは出来ない。
だって経験してないのだから。
これは僕の兄とその友人の人と話して居る時の話なのですが、両者共に仕事をやらせたらバリバリ出来るタイプで、大体先頭に立つような人たちでした。仕事先の後輩とかに「どうしてそんなに出来るんですか?」みたいなことをよく聞かれてたそう。
そんなことを聞く後輩も後輩ですが、この時この二人の言い分は「普通にやることやるだけ、何をそんなにわからないのかわからない」でした。
わかってやってくれ!
出来ない奴、下の奴からしたら貴方達の普通は普通ではないのだと!
努力の仕方や捉える視点が他の人と違ってたんでしょう。
けど、この二人にはどう足掻いてもこの質問をする後輩の気持ちはわからなかったことでしょう。
僕なりの見解を二人に説明すると、呆気にとられていたのを今でも覚えています。
僕はどちらかと言えば出来ない側の人間だったので、よくわかった。
そんな感じで、僕は最初の一歩を躓いていた経験があったが故にわかることがあったというお話でした。
自分の失敗は誰かの為になる。
そう思ったら、例え上手く行かなくても一歩が軽くなる気がします。
「みや」