ニートってことに白旗を上げて見る
昼寝をしてしまい、短時間なのに「フリーザ様と誰かと地下に広がる下水路みたいな迷路を脱出するという」夢と「中学時代のクラスメイトがちゃんと大人の女性として出てきて誘惑してくる」という2つの夢を見るという夢診断では判断出来ないだろう夢を見た「みや」です。
このブログを書き始めてから、ついぞこの言葉で自分を表現したくなかったんだけど、僕って紛れもなくニートだよなぁ。
いやね、今だって先日面接に履歴書忘れた会社の結果待ちとかしてるから働く意思は全然あるんだけど、六月に単発のバイトしただけで、今何も収益なくて実家に住まわせて貰ってるとか立派なニートだ。
ちなみに立派なニートで検索したら、
って出てきたんだけど、これで行くと働く意欲のあるフリーターとなるという、今回の記事の破綻を感じさせるけど、あくまで一例なのでこのまま続けようと思う。
大事なのはニートという言葉から逃げていたということを、きちんと認識したという部分なのだ。
面接に受かればニートではなくなる訳なんだけど、それまで自分のことをニートと表現するのを何故か避けていた。
このブログでも当初はニートのブログとかタイトルに付けようかとも思ったのだけど、
「いやいや、別に働きたくない訳じゃないし、むしろ働きたいくらいだし」
というのもあって、ニート状態なんて割と早く終わるからそこを押し出したら色々嘘になると思った。
そんな感じで、働く意欲という仮面を被ったニートという事実を認めないまま今日まできてしまっていた。
実に三ヶ月。
正直ニートに対して変な偏見は持ってないつもりだし、なんなら様々な要因で働けない、働いていない状態のツラさみたいなものの理解もしているくらいだ。
二十代前半では家賃も入れるスーパーニートと友達に豪語してたくらいだから、今更ニートであることに対して後ろめたさや恥ずかしさなんてものはない。
…………と思ってた。
けどね、ほらタイトルにも書いてるけど、認めたくないこととして扱っていた訳なのですよ、ニートという肩書き的な事実を。
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なんならブロガーの端くれですけど、的な雰囲気も醸し出していたくらい。
いや、これも1つの事実だけど、収益にはまだ繋がっている訳ではないからブログで稼いでるなんてとても言えないレベルである。
ブログ書いて、ブログのこと調べて、寝て、ゲームして、漫画アプリ読んで、ブログ見て、ゲームして、アニメみて、ブログ調べて、飯食って寝る。
たまに闇雲に走り出したりして発散することもある。
みたいな生活サイクル。
メリハリがなくて死にそうだけど、面接結果を持つという面目躍如を後ろ盾に日々をこんな形で過ごしてる。
将来もし、結婚出来て子供が同じ感じになったとしても、両親のように何も言わずに見届けてやりたいという精神的大人な部分も育ってたりする側面も感じてる。キットムダジャナイ。
他のニートさんが実際はどうしてるかはしらないけど、僕はこれではつまらなくなっていて、二十代前半のニート時期の時は何も感じなかったけど、アラサーに足突っ込むと色々出てくるよね。
まぁ、そんな感じでニートを認めるのもこのタイミングでしかないと思ったのと、ぶっちゃけニートという存在とか割と認めてる部分とどうでもいいと思うのが本当のところで、要はニートでも面白いかどうかが大事。
今の世の中魅力的なニートというのも存在していて……というところまで書いて、
「ん?そういやニートのこと何も知らないぞ」
と勢いで文を書いていたことに気づき、検索して見る。
なんとなく情報としてニートのブログとか、ニートを突き詰めたら本を出していたとかって話は知っていたけど、実際知らないじゃないかと。
そしたら『pha』という有名ニートさんが出てきた。
本をいくつも出してたりしてる、見た目普通な感じのおっちゃんだった。
ざっといくつかのブログを読んで見たけれど、全盛期は過ぎているのかそもそも僕のニート力が脆弱だからなのか、あまり刺さることは書いてなくて、でも色んな人に支持されているからエッセイ書けてたり、本を出せているんだろうな、と思った。
この人がニートの極地の1つであるとするならば、僕はこの路線である必要は特にないと感じる。
まぁ、ニートであることは認めるけど、ニートで居たいという訳ではない辺り、エセニートではないかという所に落ち着く訳だ。
・ここから脱線するよ
わざわざ見出しを使ってのお知らせ。
ニートについてはもう認めたので、ここからは番外編。
ニートの続きで言えば、現状ブログの存在でなんとか生きる気力は養われているけど、そのブログが原因で落ち込んだりすることもある。
そんで、昨日のブログで「自分を書く文章ってどういうことだ?」的なことを書いて、最終的に
「読んでもらいたいんだけど、別にあんた達の為には書かないんだからね!」
というツンデレ自己中心的執筆を宣言した訳だけど、今思えばタイトルがカッコつけてる。
自己中執筆宣言とかでいい気がする。
どっちの方が読んで貰えるのか?
真面目な感じの人なら前者で、ちょっとおかしな人が好物なら後者の方がいいんだろうと思う。
僕が求めているのは後者で、僕も後者なのに、こんな感じでいかにも「いい奴風を出してる」っていう時点でまだまだ自分を書ききれてないことがわかってしまう。
僕って奴はどうやら、すぐそうしてスカしてしまう気質があるらしく、アホみたいな楽しい感じの言葉選びが出来てないことが多い気がする。
これを書いている時にちらついていたのがタイトル「認めたくないことを認めてみる」という真面目一辺倒のなんの面白みのないタイトルをさっきまで付けていたという。そして変更した。
誰が読むんだ?
読んでくれたとして、多分真面目な人とか意識高い系とかが間違って暖簾をくぐってきてしまって、そのままUターンでお帰りになる気配しかない。
基本的に真面目に自分のことを分析や理解しているけど、根は堅苦しいのとか小難しいことは苦手でしかないのに、変なところを常識人っぽく振る舞おうとしているから自分で気持ち悪くなる。
あと、小説書いていた時の弊害か、文章に含みを持たせようとする癖がなかなか抜けてなくて、今のタイトルがどれだけ面白いかは正直謎だけど、前よりは直接的なことは書けているので良しとする。
今日はこの辺り。
前までだったら、この辺で「皆さんはどうですか?」とか「皆さんも本当はこうしたいのに、何故か逸らしてしまうことってありますか?」とか書いて締めるけど、そういうのももういいかな。
「みや」