水から学ぶ人間の可能性と本質
いくらでも〝形〟は変えられる 水もひとも
水に決まった形はないというのは皆さんご存知の方も多いかと思います。
これって、ひとにも同じことが言えますよね~というお話です。
ひとは物理的にはある程度決まってますけどね(笑)
さて、ひとの身体のほとんどが水分であるように、ひとと水というのは切っても切れない関係であると言えますよね。
水は液体、固体、気体と様々な形に変化します。
また、器によってもその形状に自由に形を変えることが出来ます。
ひともひとという種族の形自体は変えられないですけど、やり方次第でちょっとした形の変化は出来ますよね。
っと体型の話をしたいのではなくて、
ここで言うひとの形というのは生き方や考え方、価値観や世界観のことを言います。またはやり方や実現の仕方と言った手段も言えます。
生まれてからずっとそのままの人はいませんよね?
姿形はもちろん、考え方や価値観って生きていくうちに色々なものに触れることによっていくらでも変わりますよね。
今時どれほど言ったことがある方が居るかわかりませんが、小さい頃「お父さんと結婚する!」「お母さんと結婚する!」と言っていた方、今でもその気持ちは変わってませんか?
両親を好きな気持ちは変わっていないかもしれませんが、その時のままの人は恐らく居ないでしょう。居ましたら連絡ください、お話聞きたいです。
こんな感じに望もうが望まなかろうが、ひとは変わって生きます。
けれど、例えば環境だったり、あるいはずっと持っていた価値観によって変わりたくてもなかなか変われないこともあるかと思います。
でも、水を思い出してください。
周りの環境によってその状態を変えますよね。
液体から固体から気体へ。
器という物によっても形状を変えますよね。
ということは、ひとも入る環境によって、関わるひとや見るもの触れるものによって、いくらでも形を変えることが出来るということですよね。
ひとは良くも悪くも勝手に変わっていく生き物だと僕は思います。
つまり誰しもが〝自由〟であり
〝無限〟とも言えます。
ある程度形が定まっているものでも、そこから縦に伸ばそうが横に広げようが凹みを作ろうが『いくらでも形は変えられます』。
望まぬ形や傷が最初からあったりしても、
元からある形を更に綺麗にするのもいいし、壊して新しく組み立てたりするのもいい。
もっと緩く、もっと柔軟に、もっとシンプルに、もっと簡単に、もっと面白く……
自分の形を変えていける
自分の形に変えていける
それがひとだと僕は思います。
「みや」