自分を書く文章 ぶんぶん通信「みや」ログ 

執筆者「みや」の想いや考えを共有して、共感出来る人に繋がりたい。その中で、視点や考え方が読んでくださった方に役立てばと思います。

ブログで「自分理解度」を高める話

物事に真っ直ぐ進めばそれが一番早い。

 

いやいや、色んな事を試してもいいじゃん。

どれだけ世界や人が進化しても、絶対的な人生の歩み方が提示されることはないんだから。あっち行ってこっち行って蛇行してもいいではないか。

 

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揺れる幅が多いとその分色々経験してる。

 

ってな訳で揺れるように歩んでいるお陰で、良いもの悪いも引き連れる清濁の伝導師「みや」です。

 

 

今回、何が言いたいのかと言うと、人生たまには悪ぶりたい時とか、良い子ちゃんぶりたい時があってもいいよね、ってことです。

 

一言で言うと「気分ってあるよね」

 

 

 

 

「自分を発信するということ」

 

冒頭で言ったように、絶対的な事って言うのは世の中には無いと思ってたりします。

個人的な指標や価値観としての絶対的と呼べるものは、あるかもしれないですけどね。

 

 

1からこのブログを読んでくれている方ならご存知かもしれませんが、僕がこのブログを書く1番の理由は「自分という存在を発信する」ということです。

 

 

 

www.tatamiyatanuki.com

 

 

 

自分の内側を発信することで、「僕」という存在を知って貰って、理解して貰いたいんです。

 

 

なんでそんなことするの?って思う人も居るかもしれないですね。でも、想像してみて下さい。

 

 

周りの人、職場や友人などが自分のことをより理解してくれたり、知っててくれたりしたら嬉しくないですか?

 

何より「楽」だと思うんです。

 

圧倒的に生きやすい。

 

 

けれど、現実で会う人会う人に、または既に居る友人や知り合いに「自分はこういう人です」って改めて話すのは難しい。

 

なんて説明したらいいかわからないし、切り出し方も謎。

 

というか自分を説明するってどうやるの?

 

って少し想像しても、?でいっぱいになるかと思います。

そうなってくると、焦らずゆっくり知って貰うしかないかなーとも思いますよね。

 

「自分理解度」

 

そもそも自分のことをどれだけ理解しているのか?

自分が思っている以上に自分は自分のことを知らなかったり、理解してなかったりします。

いやいや、自分のことくらいわかるって。

って思う人も居るかもしれませんが、それを口にして誰かに話したり、書いたりするとなると思いの外スムーズに出てこないことがあります。

 

 

例えば、「あなたはどんな子供でしたか?」といきなり聞かれてスラスラと言えたりするだろうか?

最近の僕で言えば、一呼吸か二呼吸くらい考えてようやく言えました。

 

スラスラ出てくる人は自分理解度が高い人かもしれないですね。

好きな色や食べ物とかなら、すぐ言えそうですけど。 

 

しかし、多くの人が改めて自分のことを考えたことが無いかと思います。

 

 

僕の場合はブログという媒体を使って発信することで、自分理解度を上げていってます。

 

 

伝え方一つでも、「ああ、こういう書き方は自分には合わないな。この文体は難しいな」とか書いてる内容以外でも発見があったりします。

 

 

ふむ、なんだか「ブログを書いた方がいい五つの意味」みたいな促進内容になってきてる気がしますね(笑)

 

でも、ブログって興味があったり、想いがあったりするものが無いとなかなか書き続けられないので、自分がどんなことを意識してたり感じてたりするのかよくわかります。 

 

 

ブログじゃなくても、日記とかでもいいから自分のことを書くのはオススメです。

書いていくことで、自分を知っていくって結構楽しいですよ。

 

「気付かない内に自分発信してる」

 

そもそも、日本人って自分を知って貰いたい、見てほしい欲。承認欲求が高い人種な気がします。

 

SNSで今日何があったとか、ここに行ってきた、これ食べたとか発信するじゃないですか。

 

あれも立派な自分発信ですよね。

 

無意識でも「自分」という存在を知って貰いたい、見て欲しいという気持ちはあるんだと思います。

 

 

「どんな気分の時でも自分なのは変わらない」

 

さて、かなり回り道をしましたけど、悪ぶり良い子ぶりたいの話。

 

それはこんな記事書いていたことが起因しています。

 

 

 

 

www.tatamiyatanuki.com

 


 

 

www.tatamiyatanuki.com

 

 

ふむ、ファイティングポーズです。ワンツーから右フックで空振り三振です。

今思えば、中学生や高校生時代にもあった気がします。

 

この記事では、悪ぶりたかったんだと思います。

けど、思ってたり感じていることは嘘とかその場の勢いとかではなく、本音です。

 

 

自分を発信する!→良いも悪いも全部出さなきゃ!→オラオラオラァ!→ふっ、争いは虚しいものだな→あーそんな気分だったんだなぁ、この時←イマココ。

 

 

嘘偽りはないんですけど、多分書き方って他にもあったんじゃね?って思ったら、この時はそんな気分だったんだと思います。

 

 

そこに「自分を出す、発信する」ということに囚われていた僕は、そのままの気分の文章を書いていたんです。 

 

 

過去に当時付き合っていた彼女に隠し事はしたくない!と思って、言った方がいいことと、聞かれるまで言わなくていいこと、言わなくてもいいことの区別がわからず、失態を侵していたのと変わらない。

 

 

見極めようぜ、僕。

でも、悪ぶりたかったんだよな。

 

 

やってみてわかったことですが、何かしっくりこない。

見せかけの勢いと怒りのようなものを具現化した感覚なんですよね。

 

 

思ってることが本当でも、そこに乗せる気持ちや想いが偽りだと伝わるものも伝わらない。

 

 

言いたいこと言ってるようで、スッキリしなかった。

 

 

これが言葉話している時は「ん?なんか今違うった事言ったぞ」って違和感をすぐに感じれるんですけど、文章だと気付かない時がまだまだあるみたいです。

 

 

そして冒頭に戻って、こんな感じで軸がブレてるお陰で良いも悪いも引き連れて、自分の中にあるものを発見出来たというお話でした。

 

 

ブレてなければ別に見る必要のないこととも言える。ぼそっ。

 

 

回り道で「悪ぶってみる」ということをしていなかったら、きっと僕はいつまでも「否定するような書き方や、言い回しが自分にとってしっくりくるかこないか」というのがわからないままでした。

 

けど、またいつか「気分」や「そう書きたい」と思う時がくるかもしれません。

 

大切なのは、こういう自分を理解したと思った時に気付けた、知れたからと言って、終わった気にならないことだと思います。

 

 

僕はおそらく「ああ、また悪ぶりたいんだな、自分」って思いながらその時の書きたいことを書くんだと思います。

 

これが理解していなかったら、ただの垂れ流しになってしまいます。

それは嫌だなー(笑)

 

 

今回は正直上手く纏められたか怪しいので、質問や物申したいことがあればコメントなど貰えたらと思います。

 

読んでくださってありがとうございます。

「みや」

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