鈍足だけど自分型
ぼくらが歩む道は
ひたすら真っ直ぐだけが
近道じゃあない
何かに向かう時、目指す時ににわざわざ遠回りをして行こうと思える人はなかなかいないと思います。
「プロ野球選手になるぞ!」
と頑張る人がバットを振るのではなく、サッカーでボールを蹴ることはしないでしょう。
後になってサッカーをやったことで足腰が鍛えられていて結果、野球に繋がった!
なんてことはあるかもしれませんが、
これは後になって気付けることなので、
『サッカーをやってる時には気付きにくい』ことです。
そもそも、進んでサッカーという他の競技を野球選手はやらないと思います。
昔の漫画だったら、前にやってた競技がその後活かされたという展開はよくありましたけどね。
僕は物書きになる為に日々頭を悩ませていますが、他のことだってします。
毎日毎日四六時中書きまくるのが物書きとして大成する近道なのかもしれませんが、それだけが道ではありません。
僕の好きな漫画のキャラでこんなことを言うキャラがいます。
『一番の近道は遠回りだった』
『遠回りこそが俺の最短の道だった』
急がば回れ、ではありませんが、ようは『目標に向かうにあたって、遠回りにも思える日々は自分にとっては最短距離』ということです。
結果的に目標達成してしまえば、遠回りも近道も関係なくなりますよね(笑)
大事なのは目指す場所まで向かう姿勢と意識だと思います。
「何やってるんだろう」
「こんなことやってる場合じゃないのに」
「もっと努力して頑張らなきゃ」
と思うのは大事ですが、それで目の前のやるべきこと、仕事だったり勉強、家族との時間を蔑ろにするのは良くないですよね。
日常のあらゆることを大切にして、目指す場所へ向かうことを焦らないことが大切なのかもしれません。
近道を行こうと、遠回りを歩こうと、同じ場所を目指す道です。
人生って何がプラスになるかわからないですから、どんなことをやっていても何かしらの糧になっていて、その人が歩んだ道だから見えてくるものっていうのは必ずあると思います。
鬱を経験した人だからこそ、鬱の人により親身に寄り添えたり、やっていたコンビニのバイトの経験が独自の視点を生み出す経験になってたりもすると思います。
僕なんか遠回りしまくっている気がします。
他の人が一年で進む距離を僕は五年とかで進んでいるかもしれません。
要領がいいとは決して思えませんが、それでも前には進めていると思ってます。
あれです、ウサギとカメのカメですよ。
色んな世界に遅咲きだけど、その人だから出せる持ち味があったりするのはそう言った遠回りを経てるからなのではと思います。
超天才のスピード型は諦めて、鈍足だけど自分型で僕は行きたいと思います。
「みや」