昨日までの自分が少し誇れるようになる話
「自分を認めないと相手も認められない」という言葉が最近になってわかって来たような気がする、その場ではすぐに理解しないタイプ「みや」です。
先日寝る前にふと出てきたことがある。
過去に戻れたとして、また同じ人生を歩みたいか?っていう問い。
贔屓目に見ても僕の人生というのは順風満帆とは言えず、後悔や失敗なんてのがそれなりにあって、当時のことを思い出すと苦い顔をしてしまう。
イタタってなってしまう。
戻れるなら高校生からか、高校卒業くらいからやり直し出来たら色々と違うだろうな、っていうのは結構誰もが一度は思うことかもしれない。
もっと上手く立ち回れたら、とか。
あそこであの一言が言えたのなら、とか。
今だったらこうしてた、とか。
まぁ、思っても仕方ないと思う。
人生ってゲームみたいな攻略本もないし、ゲームだったら素直に真似て聞ける先達の助言もその時は聞けなかったりするし。
でも、この記事はそういうことを話したい訳ではない。
僕の中で僕の人生と言えば高校卒業してからな気がするので、それ以前は別に同じように歩んでもいいとは思っているけど、その後となるとまた同じ人生は歩みたくない。
しかし、これは何もネガティヴな考え方でもないって布団の中で思ったんだよね。
どういうことか?
ちなみに僕の場合はもうすぐ28歳なので、およそ10年くらいを振り返ってのことだから、時間的観点からすると短いとも言える。けど、多分このくらいの年齢からこういうことって考え出す生き物なんだと思う、人間って。
自分の人生について考え出す。
価値があるとか、意味があるのか。
このままでいいのか、この先はどうなのか。
仕事してる人もしてない人も。
上手くいってる人もいってない人も。
楽しんでいる人もいれてない人も。
第二次思春期みたいなお年頃が二十代後半なのである。
それくらいのお年頃になると、良いこともあれば嫌なことだって知ってる。
そこで思った訳だ。
いやね、歩みたくないと思うような人生を歩んで、今こうして生きてるってことは逆説的に言えば、
それだけ大変な思いや経験を超えて生きてきたって証なんだと思う。
正直、今は順風満帆ではない人生だけど、そこに無駄とか無意味な出来事はなかったと思えています。
これまでの人生があるから今の僕でいれて居るので、それに関しては受け入れて居るし、これでいいとは思ってます。
後悔とかはするけど、別に悪い人生ではない。
決して器用ではなかったかもしれない。
周りに居る同年代からしたら、冴えなかったり、つまらないと言われる人生かもしれない。
けど、そんな人生を乗り越えて生きて居る自分ってちょっと凄くないですか?
人によっては耐えられない事だって、自分は堪えて凌いだんだって思ったら、自分って奴はやってた、とかやってるって思ったら凄くないです?
ちなみに、僕が地味に尊敬してる仕事の1つが「警備員」や「交通誘導員」の人たちです。僕は絶対出来ない。あの人たちスゲーって思ってます。
あの人達、よく出来るな、って思ってます。
意欲的にやってるとか、好きでやって居るやっていない関係なしに。
ニートとかも侮れない。
僕は現時点では就活こそしてますけど、アルバイトも出来てないニートみたいなものなんです。世間の目とか親の目とか、それこそ先程言ったように第二次思春期な訳ですから、ニートであることが苦しい部分があります。
というか、飽きてつまらなくなって居るんですよね、仕事をしていないという事が。
多分、自分の中の葛藤や迷いだけで言えば、ニート程常に苦しんで居る人種は居ないんじゃないだろうか。
まぁ、そんな感じでどんな立場であろうと後悔まみれの人生だろうと、逃げまくってきた人生かもしれないけれど、乗り越えてなんかも居ないかもしれないですけど、それらを通って生きてきたのは間違いないんで、誇っていいんだと思います。
人生謳歌してるって奴に「お前らはここまで苦しい思いした事ないだろう!」って強気で言えるかもしれません。
そしたら「実は三年前まで鬱でした」とか思いがけないカウンター喰らうかもしれないですけどね。
戻って歩みたくないような道を歩けて居るという自分を褒めてやりましょう。
僕は戻れたら高校では柔道部には入らず、バイトしまくったり、授業中は寝てばかり居ないで攻めて本とか読んでいれば良かったなと思います。
「みや」