誰のための自分なのか
果てしない道のりを
歩いてきた
たぶん
一人では決して
歩けなかった
人は一人で歩くことは出来ても、歩み続けることは難しい……そんな生き物だと思います。
それは誰かとなら、という意味もあれば、誰かの為なら、という意味も含まれます。
画像では二人の人が砂漠を歩いています。それぞれ楽器を持っていることから、おそらく二人は相棒やパートナーの関係でしょう。
人は自分ではない誰かの為に力を発揮する生き物です。
どんな仕事だって、結局は誰かの為になっていますよね。
やる気なくやっているコンビニのバイトだって、
生活の為にやっているスーパーのレジだって、
機械のように毎日淡々とこなすだけの作業だって、
自分がそういう意識を持ってなくとも、誰かは貴方の仕事で助かっていたりするのは確かです。
そういう意味でも自分だけの為だけだと限界があります。
有名な言葉で
「お前の為にチームがあるんじゃねぇチームの為にお前がいるんだ」
というのがあります。
この言葉はスポーツでの話ですが、どんなに優れた人でも一人だけでは底が見えます。
というより、一人だとやれる範囲や量などはどうしたって限られてきますよね。
だから会社の社長は人を求める訳ですし。
野球で誰にも打つことが出来ない球を投げるピッチャーがいたとしても、それを捕れるキャッチャーがいなくては成り立ちません。
例えどんな有能で凄い能力や経験があっても、その力を発揮出来なければ、無いのと同じようなものになってしまいます。
宝の持ち腐れってやつですね。
辛い仕事も自分の為より家族の為の方が頑張れたりしますよね?
また、自分へのご褒美の為でも人から労いがあった方がやる気が出ますよね。
人は一人では弱いですが、誰かの為なら何処までも強くなれる生き物です。
まるで漫画で言われてそうな言葉ではありますが、一つの真実ではあると思います。
その誰かが、わからない場合、見当たらない場合はそういう人が現れた時の為にしっかり刀を磨いて鞘に収めておきましょう。
いざって時に刀が錆びていては守れるものも守れません。
また、力を発揮させてくれるパートナーや相棒が現れてもいいように準備をするという気持ちでもいいかと思います。
なんでもかんでも一人でやる必要はないですよね。
でも、これってよくドラマや漫画などではよく見る気がします。
登場人物に対して
「もっと周りを頼れよ!」
「なんで一人で抱え込むんだ! 相談すればいいのに」
って思ったことってありませんか?
第三者目線、他人だったらわかることって本当にあるんだと思います。
ということは逆説的に自分ではわからないことはあるってことですよね。
一人だと気付けないことも、二人なら気付けたり、または乗り越えられたり出来る。その人数が増えれば単純に考えるともっと幅が広がったりする。
それは
友達なのか
恋人なのか
夫婦なのか
家族なのか
仕事仲間なのか
人によって違うかもしれません。
けど、誰かしらと関わりはあると思います。
今いる目の前の人は自分にとってどんな人なのか。どんな存在なのか。
漫然と日々を過ごしていては見逃してしまってるかもしれないことを、たまにはかんがえてみたりするのもいいかもしれませんね。
「みや」