意識を外に置いて居た話。その2
最近1日の睡眠時間が明確ではなくて、でも精神衛生上とあるゲームは欠かさずにやってしまっている「みや」です。そこから得た記事もそのうち書こうと思います。
さて、今回は昨日の記事の続きというか、書けてなかった部分を書こうかな、と。
他の記事でも言えることですが、まだまだ掘り下げ切れてないことがいっぱいです。それこそ、文字にして2000文字前後で自分の考えとかを書ききれるかと言えば、日々アップデートしてると難しいですよね。
さて、前回はここに書いている自分と現実の自分との誤差を極力無くしたい。読んでいる人に対して取り繕ったり、仮面を被るようなことはしたくないということを書きました。
ちなみにブログのタイトルがほぼ決まりました。
色々と変更しまくってたのことに、気付いてくれる程目を通してくれている方が居たら、ありがとうございます。
既にでっかく出てると思いますが、
自分を書く文章 ぶんぶん通信「みや」ログ
で行こうと思います。
割とシンプルにこのブログのことを表していると思います。
自「分」と「文」章で「ぶんぶん」。個人的には気に入ってます(笑)
この辺りも、自分に意識を向けて、方向性や軸的なものが少しずつ構築されて言った結果な気がします。書く内容がわかりやすく、
「シングルファザーの」とか
「ミニマリスト女子の」とか
「ゆるふわニート」とか
キャッチーな肩書きだったり、一点突破した専門ブログならとりあえずのタイトルは付けやすいんですけど、僕の場合「自分を出して知ってもらうブログ」なので、そのまま書いてもいまいちピンとこない。
今のも、ある意味そのまま書いていると言えば書いてるんですけど、納まりは大分いい気がします。
おっと、脱線しましたね。
今からちょっとややこしい話をします。
自分を書く文章である以上、書くことは常に自分のことだったり、自分の内側から出てくるものです。そこに他人のことを意識してしまうと純度が下がってしまう。
他人の存在によって出てくる自分っていうのもあるから、場合によっては良い方に転じることもあるが、基本的にはこのブログでは他人(読んでくれている人、あるいは話題に出す人物)に気を遣っては本末転倒なのである。
しかし、根っこでは自分以外の誰かに読んで貰いたい。つまり他人に向ける側面もあるので、完璧に無視することは出来ない。
自己完結では自己満足も出来ないのだ。
でも、ここに他人から見られることを前提という意識があると、対他人の顔がニョキッと出てくる。
よく言う他人行儀な自分という奴だ。
当たり障りのない、社会に溶け込む為に被る仮面のような顔。
礼儀や礼節は大切なので、普段出てくる分には構わない。
何も言いたい放題の暴言まみれなことを書きたいわけではない。
けど、このブログの場では控えて欲しいのである。
あくまで発信が目的だから、誰かに届くことを前提で書くというのは絶対的にあるのだけど、例えば誰にも見せる予定のない日記に他人の存在に気を遣うだろうか?
思い思いに書くのではないか?
つまりは意識的には日記のような、超私的なくらい自由というか、何者も気にしないくらいの伸び伸びとした文章なんだけど、結果的に誰かに伝わるような文章を僕は書きたいのである。
感覚では半分くらいは既に出来ているんですけど、どうもまだ悪い意味で「人の目を気にしてしまっている」段階なんですよね。
書きたい時に書きたいように書けばいいのに、
「1日に2つとか記事上げたら前のが埋もれちゃうかな」とか
「この時間から書いてもあんまり読まれないかな」とか
考えちゃうんですよね。
まぁ、なるべく読んでもらうにはそういうところも気にする必要はあるし、今では下書きとかにしておけば大丈夫ってわかって来たからこの辺りはないんですけど、
これって大分「外側」を意識してますよね。
大事な部分。だけど、それで自分を出すことを躊躇するのは違う。
余計なことを考えた過ぎてたな、って。
頭で考えてしまってたんですよね。
思考が先行すると、考えなくていいことも考えてしまう。
そんな感じで、もっと自分って奴をそのままお届けしたい「みや」なのでした〜
目指せ!「ブログと変わらないんですねー」と言われること!(笑)
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