ワンピースを伏線漫画という目線でしか見れてない奴等に
いや違うんだよ!そういうことじゃないんだよ!
それも含めて楽しんでもいいけど、意味を履き違えるなよ!
っと割とテンション高めに始めさせて貰いました。
自称かつてONE PIECEマニアの「みや」です。
- ・最初に言いたいこと
- ・伏線とは
- ・ほとんどが伏線ではなくこだわり
- ・脇道 ジョジョでの憤り
- ・ネットで見た伏線では無い伏線解説
- ・エースのビブルカードは伏線じゃない!?
- ・じゃあ何が伏線なんだよ!
- ・最後に、どうしてこんな記事を書くのか。
・最初に言いたいこと
今回は割と声を大にして言いたい。
そうなってしまっている現代にドロップキックしたいことベスト3に入ることがこの漫画ONE PIECEをなんでもかんでも伏線で捉える連中と、それにアホみたいに群がって囃し立てる奴等に物申したい。
・伏線とは
さて、まず伏線とは
伏線(ふくせん)は、物語や作劇上の技術のひとつで、物語上において未来に起こる重要な出来事を、些細なかたちで前もって暗示しておく手法である。読者や聴衆の失望を回避するため、あるいは感興を引き起こすために用いられる。時には登場人物によるはっきりした予言といった形をとることもある。
ウィキペディアより。
これを検索すると、
この画像が真っ先にが出てきたり、画像検索するとONE PIECE関連がほとんど締める程、今の日本では伏線の代名詞=ONE PIECEというくらいの勢いである。
・ほとんどが伏線ではなくこだわり
YouTubeでもその手の考察はよくされていて、騒がれている。
正直、そこまで読み込んで調べ上げて繋げられる考察班の方々は凄いと思う。
並大抵でないことは確かだし、最早ONE PIECEの考察が一つのエンターテインメントになりつつある。それを楽しむのは自由だと思ってるよ、というのは先に言っておきたい。
確かにONE PIECEには伏線と思われるが多い。それらが回収された時の感動も多いのは間違い無いのだけど、僕も物書きの端くれ。自分でストーリーを紡ぐ立場である以上言いたい。
ほとんどが著者尾田栄一朗先生の作品に対するこだわりだったり、設定の作り込み線上のことであるもので、本当の伏線は実は限られているんだよ!
・脇道 ジョジョでの憤り
このことは一時期ジョジョのにわか達や、それに準ずるラノベの作家達が、ただ表面の言葉でしか使ってなかった岸辺露伴の名セリフ「だが断る」を乱用していた時と同じくらい憤りを感じている。
ちょっと横道に逸れるけど、ご了承ください。
さて本筋に戻るとしよう。
ジョジョは語ると止まらなくなるのが「みや」の悪い(良い)癖だ。
・ネットで見た伏線では無い伏線解説
とある考察動画でゾロは「約束」というものに強い想い、あるいは行動を示すことがあってそれは死んでしまった親友くいなとの約束から来てる。
事実ゾロのセリフに約束が使われると「」が使用されていたり、強調されている。
このことからゾロは約束に対しての考え方や捉え方が違う。
なるほど、とても良い考察だと僕は思いました。
ただそれが伏線を紹介する場でなければ……!
その動画の紹介された伏線の5つの内4つは尾田先生のこだわりと言えるもので、釣られて伏線を見に来た僕はガッカリしてしまいました。
普通に考察って名目で語ればいいのに、バカみたいにONE PIECEは伏線漫画というイメージに踊らされてズレたことを言ってしまっている。
・エースのビブルカードは伏線じゃない!?
あとは有名なところで言えば、エースのビブルカード。
え、いやいやあれは流石に伏線でしょ!って思う人がほとんどかもしれませんが、あれは明確に伏線とは言えません。
何故か?
もし仮に、アラバスタ編でよくわからない紙をエースから渡されたルフィがその後度々エースの気配や方向を感じ取る場面なんかがあったら、ビブルカード越しに伝わっていたという伏線とも言えるでしょう。
その場合、ビブルカードが出て来た時に「ああ、だからか!」ってなるでしょう。
しかし、そんな場面もなければビブルカードにそんな効力はありません。
実際大抵の読者の感想は「ああ、あの時のあれか!」「そんなのそういや渡してた!」
だったことでしょう。
大分前に渡していて、その後どんなものか知っただけ。
書き手の思考的に言えば「ここでエースに渡させて、後々の展開に必要になる」といったものでしょう。
驚嘆すべきなのは、あの時点で頂上戦争までの流れや道筋が出来ていたのかという、尾田先生の構成力だと思います。
扉絵の連載にしても、あれってぶっちゃけ大筋の補足ですよね?
伏線では無いと断じて思います。
・じゃあ何が伏線なんだよ!
言ってみやがれぃ!って思われる方も居ると思うので書きます。
僕が思ういわゆる伏線は文句なしにアラバスタ編の仲間の印ですね。
✖︎印のやつです。
あれは物語上、Mr.2のマネマネの実の対策として、仲間を見極める為の印でした。
ゾロの機転でそれぞれの左手に包帯の下に印を書きましたね。
戦いの最中、見事にこの二段構えでMr.2を見破り、役目を果たしたと思われたこの印が最後の最後で登場しました。
王女としての立場があるビビ。
そんなビビが
「いつかまた会えたらもう一度仲間と呼んでくれますか!?」
と拡声器で尋ねます。
海軍が効いている中だったので、声で答えることは出来ない。
そこで無言で伝わる〝印〟を掲げます。
仲間の印。
見事な伏線と言えると思います。
別に長い期間張られてないと伏線と呼べない訳ではありません。
僕はこのシーンを読んだ時「コレがあったか!」と喜びと驚きを強く感じたのを覚えています。
・最後に、どうしてこんな記事を書くのか。
考察する人達を素直に凄いと思いながら、一つのエンタテインメントとして楽しまれているのに、どうしてこんな揚げ足を取るようなことを書くのか。
言葉の意味だけじゃなくて、もっと自分の視点や感性、感覚を持って何事にも意識を向けて欲しいからです。
上っ面だけでものを見たり、知った気になっている人がこの世の中にはあまりにも多い。するとどうなるか?
その人独自のものが覆い隠されて、世の中が面白くなりにくくなる。
正直、僕もまだまだ100パーセントそう言った意識を使いこなせている訳ではありません。なので、上からなんてとても言えたもんじゃありません。
このブログの主旨は
1つ。僕の考えや思考を知って、共感や興味を持ってもらいたい。
2つ。それによって、読んでくれてる方に気付きやキッカケになったら嬉しい。
3つ。最終的に実際会ったりして交流出来たら最高。
です。
そのために色んな切り口で記事を書いているのでよろしくお願いします。
「みや」